主催:神奈川県人権・同和教育推進協議会

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期間:2004年9月18日(土) 13時30分〜16時00分

場所:多磨全生園

報告者:菅井 昭宏

人推協県内研修会〜「多磨全生園〜ハンセン病資料館を訪ねて」

 

1.ビデオ、講演、資料館の説明

  語り部 佐川修さん

@ハンセン病の歴史
 古くは、「日本書紀」「今昔物語」にもある「らい」の記述。明治になり、「らい」に対する政府の施策が具体的に始まり、「らい予防に関する件」という法律を制定し、療養所に入所させ、一般社会から隔離した。この法律は患者救済を図ろうとするものであったが、これによりハンセン病の間違えた考えが強まり、偏見を大きくした。
1929
(S 4)
 「無らい県運動」が全国的に進められ、強制的に入所させる。
1931
(S 6)
 「らい予防法」強制隔離によるハンセン病絶滅政策で、全国に国立療養所を配置しすべての患者を入所させる体制が作られる。
1948
(S23)
 「優性保護法」でハンセン病が明文化。
1953
(S28)

 「らい予防法」が成立。患者たちの猛反対を押し切る。
この法律の存在が世間のハンセン病に対する偏見と差別を助長。

1996
(H 8)
 「らい予防法」が廃止されるまで、偏見、差別、過酷な生活環境などが患者を苦しめることになる。
 病気そのものの苦しみよりも社会からの偏見、差別にむしろ苦しむことになる。
1998
(H10)
 7月熊本地裁に「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟が提訴される。
2001
(H13)
/5/11

 熊本地裁で原告側が勝訴。違憲が認められ、国は患者、元患者たちに謝罪をし、給与金事業などを開始した。

 この間、1943年(昭和18年)には、アメリカでプロミンという抗生薬などにより不治の病ではないことが明らかになり、日本でもハンセン病研究者の小笠原医師が「不治の病ではない、優生手術などに反対」をしたが当時の学会では、彼の主張はまったく受け入れられることはなかった。
 「らい予防法」制定時、主流の学者は熱心にハンセン病の研究、治療を進めていたものの、「隔離」政策を積極的に進める考え方が主流であった。
 この当時、小笠原医師などの少数派の意見が少しでも取り入れられていたら、これほど長く、差別と偏見が続くことはなかったのかもしれない。
 今では、その当時主流であった医師の主張は「誤った」考え方になり、小笠原医師の先見の明が明らかになるのである。

A療養所の暮らし

 療養所の暮らしは、「らい予防法」制定後しばらく、「強制隔離」「懲戒検束権」などが残り、療養者の外出禁止などを規定していた。
 その周りもコンクリート塀ではないものの、高い生け垣に囲まれ、門にも監視者が常駐していたのである。
 そのため、まず入所すると、お風呂に入り、それまで着ていた衣服などは焼却処分される。お金もとりあげられ、(逃亡の防止)ることになる。
 自活が基本で、職員は、自活の仕事の監視、逃亡の監視が主であったようである。
 自活はありとあらゆる分野に及び、農業、糞尿処理、土木、縫製、洗濯、理髪などなど生活の全般に及んだ。
 一時期は、「刑務所」のような生活を強いられていたともいえる。

 数十年まえからは、地域にもとけ込むようになり、隔離政策もなくなり、自由に行き来できるようになり、外にも仕事を持てるようになってきた。自治会活動が主となり、現在は緑化活動やお祭りなどの企画が主なものとなっている。
なぜ、現在、緑化活動に力を入れているのか?

 今、療養所に入所している人は平均年齢は70歳代後半となっている。というのも、ハンセン病はもうすでに不治の病ではなくなり、経済的に豊かになっている日本で発病することももうほとんどゼロに近い。すると、あと数十年のうちにハンセン病の患者もいなくなり、療養所の使命も終えることになる。そういった中で、「人権の森」として、広大な敷地のこの土地を地域に自然豊かな形にして返していこうという試みである。

 

2.多磨全生園を巡って

 35万ヘーベー以上のこの敷地内は一つの町となっていると言える。
 入所者地区、公共の場所、宗教地区、ショッピング通り、病棟などの施設などもある。
 入所者地区はそれぞれ、平屋の建物が中心でそれぞれ1戸ずつ独立しており、若干老朽化しているが、庭先、冷暖房の室外機、衛星放送のアンテナなどもそれぞれの家から見え、今では療養所の敷地内にあるものの、「一般的な暮らし」をしていると思われた。
 現在、入所者が急激に減っているので、空き家、空き部屋も多く、敷地内全体が閑散としている。
 現在入所している人も、もう外(社会・地域)に出ていいけれども、高齢になったことやこれまで社会に出たことのない現実があり、このままこの中で心静かにしていたいという人が多いそうである。
 宗教地区は、一区間に、カトリック教会、日本教会、日蓮会堂、真宗会館、聖公会などがあり、独特の雰囲気があるが、生活が宗教に根ざしていたことを垣間見れるものであった。

 

3.感想

 この極めて感染力の弱いハンセン病という病気のためにこれほど長期にわたり、偏見と差別に苦しめられ、生活そのものをその人の一生涯を左右することにつながってしまったのか。
 今回の話で一番私が心に残ったのはその時その時の「主流派」、権力のある「政府」「国会」「施策」が優先され、社会、世間の差別、偏見を助長させたことの怖さであった。
 その当時、小笠原医師のような意見を持つ人がいながらも、その意見は無視され、どちらか一方の意見に流されてしまった悲劇があった。
 現在の教育のシステム、福祉政策を考えてみると、本当の意味で社会や地域でとけ込み、その中で生き生きと生活していけるものを目指しているのかをもう一度考える必要があるのかと思った。
 入所施設、養護学校の在り方もハンセン病のこれまでの施策から学ぶべきものがあるのかもしれない。
 そして、その時その時の「主流」「常識」にすべてを流されることなく、「疑問」を常に持ち続ける姿勢、生きていける「目」を身につけていきたい。

研修参加者:菅井 昭宏森 千尋千釜 理佳子坂上 陽

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Revised: 2015/11/11.