人権教育に対する聖坂の考え

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2004年度 文部科学省 人権教育研究指定

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(1) 各教科,道徳,特別活動,総合的な学習の時間等の特質に応じた指導の在り方

(a) 生活力を高める教育

 知的障害教育における、教育は教える側面よりも育てる側面が重要である。環境を整え、本人の発達段階・生活年齢・障碍特性等を良く把握して丁寧に育てる必要がある。普通教育の様に、知的学習課題を与えて教育したことにはならない。教えたことが、生活力という具体的な本人の成長、発達に結びつかなければ評価されない。

(b) キリスト教と知的障碍児教育

 本校は、キリスト教主義の学校である。しかし、聖書の授業はない。キリスト教を知識として教えることは困難だからである。キリスト教主義を謳う意味は、人間関係を含む教育環境や教育活動全般を通して実現する様に努力している。具体的には、教師と児童生徒の人間関係や礼拝形式で行われる行事や儀式、学校生活、教育活動全般にキリスト教の人間平等の価値を実現しようとしている。

(c) 知的障碍児教育と人権教育

 人権教育についても、教育活動を通してというよりは、学校教育全般にわたって浸透することだと認識している。
 キリスト教の「命の平等」や「互いに愛し合う」価値観は、人権尊重の基盤をなしている。人権尊重を唱え、教師に教えるよりも、キリスト教による価値基準を明確に示し実現を目差す教育活動が結果的に人権感覚を教師と子どもたちの間に芽生えさせ、育てると考える。

(2)一人ひとりを大切にした,人権が尊重される学校・学級づくりの在り方

(a) 知的障害教育は人権教育

 養護学校では、個別教育計画による教育が前提とされている。また、個々の教育ニーズを捉えた教育こそ知的障碍児の人格尊重であり、人権のテーマもここにある。

(b) オープンシステムとバリアフリー

 本校では、更にオープンシステムを導入し、学校を地域に対して開くこと、学級間の壁を取り払うこと、教師間の心の壁を取り払うことを目差して20年間取り組んできた。5年前、新しい校舎を障碍の無い(バリアフリー)教室という共通理解(コンセプト)に立って建築し既存の校舎も改装した。
 新しい教室は、廊下と教室の壁か除かれ、教室と教室の壁も可動壁(スライディングウォール)で、一つの空間の中に学級毎の領域(エリア)が存在する様な開放的な教育空間となった。
 その結果、教師と児童生徒の関係はとても自然な関係になった。教師は、児童生徒が関心を示す教材を用意し、児童生徒も楽しみながら学習に臨む様になった。

(c) 自己選択・自己決定・主体性

 壁が取り払われた分、子どもたちが見通しをもって活動できる様に教室を間仕切り(パーテーション)を使って構造化したり、1日の活動に見通しが持てる様に個別の予定表(スケジュール)を用意するなどして支援している。
 その結果、重度の知的障碍児ではあるが1日の活動に見通しを持ち過ごしている。支援の内容は、移動や場所に対する写真カード、スケジュールカード、コミュニケーションボード、マカトン法など個々の障碍に応じて多岐にわたる。その結果、混乱も少なく目的的、意欲的に学校生活を送っている。
 知的障碍児といえども、環境を整え、適切な支援を行えば自己選択・自己決定ができ、自ら学ぶことができることを実践的に明らかにしている。
 この様に、障碍(ハンディ)はあっても決して保護の対象ではない。本人の分かる形で課題を提示し、障碍の部分は適切に援助し意欲と自尊心(プライド)を大切に育てる時、前向きに主体的に生きることができるのである。

(3) 児童生徒の自主性を尊重し,課題意識を持って自ら考え主体的に判断する力を育成するための指導の在り方

(a) 受容

 子どもたちを育てる上で最も大切なことは、先ずは存在を受け容れてあげることである。受け容れ、肯定することが、安心感を生み、認めて信頼してあげることが自信に繋がる。
 また、分かりやすい課題は面白く、友達同士で体を動かしたり音楽に合わせて踊ったり心を結び合わせることはとても楽しい。
 こうした、肯定的・積極的な心の働きが子どもの積極性、自主性を引き出す。従って教師や親の子どもに接する姿勢、心構えが大きく影響を与えているのである。子どもは、親の鏡というが学校では、教師の鏡と言うべきであろう。

(b) 相互主体性

 子どもたちは、環境を整えて動機付けすれば皆より良い方向へと伸びる力を持っている。判断力や表現力の差も、結局は関係する大人がどこまで理解し、励まし、支えるかに依っているのであって、決して子ども自身の能力だけの問題ではない。
 子どもは、大人の期待に応えて育つのである。大人が受け容れ、個々の力に合わせて期待して育てれば、それぞれが精一杯の力を出して生きる存在である。 これは、指導技術の問題ではなく教師と子どもの心の通い合いとその深さが関係している。

(4) 多様な体験を取り入れるなどの指導方法の工夫の在り方

 養護学校の教育は、生活力を高める教育である。指導の為の指導はあり得ない。教えたことが生きる力となって表れて初めて教育したことになる。
 また、体験を重視した教育である。疑似空間や疑似体験(シミュレーション)では理解が困難である事への配慮であるが、結果的には豊かな指導になっている。
 知的に高い能力を持っていても、体験や経験の持つ意味は障碍児教育と同じである。具体的経験は、子どもたちの心と感性を育てる。教育は知識理解と共に感性や意欲を育てなくては片手落ちである。

(5) 効果的な学習教材の選定・開発の在り方

 発達段階に応じた教育、生活年齢を配慮した教育、障碍特性を踏まえた教育は、指導方法と共に教材の創意工夫を必要としている。
 効果的な学習教材とは、知的障碍児教育を行う上での3つの配慮点を踏まえて教師が本人の実態に迫り、教育活動を進める中で開発される。
 小中学部の言語や数量の学習では、特に発達段階を配慮し学習を展開する関係で丁寧な予測評価(アセスメント)を行う。この段階では、発達段階の大まかな押さえしかできていない為市販の教材を使い実態把握をしつつ指導する。しかし、指導を重ねるうちに更に先が見えてくる。(本校では、発達に見通しを持ちやすい様に発達段階に応じた「指導ステップ表」を作成し発達理解と教材開発に役立てている)
 ここまで来ると市販の教材では間に合わなくなる。教師は、子どもに会わせて教材に改良を加えたり、新しいアイデアで開発する。
 教材の開発は、止まるところ子どもに対する深い理解と教師の創意工夫の産物である。

(6) 組織として人権教育に取り題む学校の在り方及び点検評価の在り方

 本校のオープンシステムは、20年の歳月を要した。原則として確認されても、それを踏まえて組織を作り、人の心を変え、継承してゆくのは容易なことではない。少し本校の場合はゆっくりと時間を掛け過ぎたかも知れないが、原則を確認したら構造を明らかにして関係を作り、継続してゆかねばならない。
 オープンシステムも原理の確認からクラス中心の教育に発達段階別グループを取り入れ、教師の心理的抵抗を少なくしつつ教師集団による指導(チームティーチング)に切り替えていった。目標をしっかりと定め、少しずつ形を変えてゆく中で子どもの変化等効果が現れてくれば新しい構造も受け容れられる。
 現在は、教室空間もオープンになり名実ともに開かれた(オープンな)学校となった。 組織の改革には、校長のリーダーシップと教師集団を理解させる説得力があった。理念や理論だけでは組織は動かない。

(7) 家庭・地域との連携や学校間(特に異校種間)の連携・接続の在り方

 家庭・地域との連携は先に述べた。学校間の連携・接続も今後特別支援教育となることで強く求められる。本校は私学であり、公立校に対して直接的な責任関係は生じない。しかし、求められれば研修の受け入れや共同研究、講師派遣、教材や資料提供など学校の資源を提供したいと考えている。
 北欧では、10年ほど前に聾学校がリソースセンターとしての役割を果たしていたが、本校もそのように社会に貢献できる様に専門性を高めていきたいと願っている。
 私学である本校は、学校間の連携も求められれば協力するといった消極的なものにならざるを得ない。しかし、求められれば積極的に努力したい。現在、地域の公立小学校や中学と交流学習や福祉体験等で児童生徒の交流と職員交流を行っている。
 今後も、子どもたちの教育と福祉の視点から連携を強めてゆきたい。また、私立学校とも交流を続けている。最初は、本校から持ちかけた交流学習もあったが継続する中で、子ども同士互いに高め合い、学びあっていることが確認された。丁寧な計画と反省を積み重ね意味づけと今後の方向性を探ってゆきたい。
 公開授業・公開研究会を通し、多くの方に本校の存在を知ってもらうことをきっかけにしてゆきたい。

(8) 効果的な教職員の研修の在り方

 特別な研修以前に、キリスト教で教える「命の平等」や「隣人を自分の様に愛する」、「小さなものに神が宿る」価値観を踏まえ、日々の実践を行うことが、結果的に教師を育てている。
 その上で、見聞を広め、知識を深める為の研修が有効であると考える。
 「小さなものに宿る神」は、子どもや障碍者の様な小さな者、弱い者の命も平等に扱えという倫理観を教えるのではない。小さなもの弱い者に目を留める時、私達の心が変えられ、神の国を見ると教える。小さな命、弱い命も同じ命と覚え、目を留める時私達の心は相手の立場に立つことができる。
 相手の立場に立った時、私達の無力が見えてくるのである。つまり、小さい者を相手にするには、守りつつ育てなくてはならない。弱い者を相手にするには、弱さを理解し配慮して関わらなければならない。
 子どもや障碍者を教えるといったおごった考えではなく、私達自身がより深く学びより深く理解する事を知るのである。真理への入り口は「小さき者・弱き者」に目を留めることから始まると思う。

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Revised: 2015/11/11.