新しい教育を目指して  (40周年記念式典)

− 心の教育 −


これまでの教育

 本校は、キリスト教の教えに従い、私立の養護学校として知的障碍教育を行ってきたが、決して特別なことをしてきた訳ではない。

 あえて違いを上げれば教師の異動が少ないことと、子どもの教育に熱心な保護者が少し多いこと位である。

 知的障碍教育は、理解されるのに時間がかかり義務化されるのに20年以上かかった。

 それでも私たちは、養護学校義務化の12年前に必要性を感じ教育を始める。しかし教育課程作成には、手探り状態が続き、更に養護学校義務化に伴って児童・生徒の重度・重複化が進み生活単元を中心とした教育課程は変更を余儀なくされる。

 教育過程作りは、3段階に分かれ20年以上かけて全貌が明らかにした。三段階とは、発達段階に応じた教育、生活年齢に応じた教育、次に障碍特性を配慮した教育である。


キリスト教の教え

 また、教育上の配慮事項として本校はキリスト教主義でありキリスト教の教えを価値基準としている為、教育上の配慮事項や行事や雰囲気にも特色がある。それは、子どもの存在を受容し、教えるよりも育てることを重視した教育であり、教師が子どもたちに寄り添う姿勢を大切にした教育である。

 キリスト教の教えの真髄は、先ず神を信ずる心が求められ行為として隣人を愛することが求められる。「自分がして欲しいことを他人にも行いなさい」という律法があり、これを黄金律と言ってルールの中でも重視している。

 また「いと小さき者にした事は、すなわち私たちにした事である」と弱者に目を留め配慮するように勧められる。キリスト者である教師は、聖坂は神によって立てられた学校で私たちは神より召し出されてこの仕事に就いていると告白する。

 クリスチャンでなくても、そした価値の中で教育が行われ、子どもと教師が育っている。


新しい教育

キリスト教主義教育

 キリスト教主義の学校といっても実に多様である。世間では裕福な家庭の子どもが通う学校だったり、成績優秀な子どもの通う受験校として有名だったりする。しかし、それらは歴史の古さや経営上の表面的な事でキリスト教の教えを基盤とした教育、人格教育を柱としている点では同じである。

 聖坂は、知的障碍児を対象としているが故に、また未開拓な教育分野であったが為により原理的な(或いは教えに充実な)教育を行っていると言える。

小・中・高一貫教育

 特別支援学校としての特色は、小・中・高(専)一貫教育であることと知的障碍教育を専門としていることである。一貫教育は、子どもの成長・発達を通して教師が学ぶことができ育てられる。

発達段階を踏まえた教育

 発達段階を踏まえた教育は、子どもたちの状態に合わせた教育計画を可能にした。

 また、相手の理解力に合わせた教材を提示し、出来る事を積み重ねて成長を促す。

トータルコミュニケーションの理念

 トータルコミュニケーションの理念の基、マカトン法を導入して指導を行っているが教育環境として丁寧な語りかけと共にサインが提示される。また写真や絵カード・シンボルマークも提示され理解しやすい環境を用意している。先生方の姿勢も教えるのでなくコミュニケーションを取る事に主眼が置かれている為個々の障碍に配慮して支援ツールなども用意されている。

生活年齢を配慮する

 生活年齢を配慮するとは子ども扱いしない。年齢に応じて経験の内容や選択を用意した教育環境とするという事である。その結果子どもたちの心の中に主体性やプライドが育まれた。

障碍特性の配慮

 障碍特性の配慮も重要である。生理的な知的障碍、ダウン症等は、発達段階の配慮と生活年齢を配慮する事でカリキュラムを組む事が出来る。しかし、自閉症児の場合、更に配慮が必要である。自閉症児の配慮は、個々によって差が大きいので実態を丁寧に把握し個別の丁寧な指導と共に、対人関係の構築が必要となる。

 自閉症の障碍の本質は、人に対する信頼関係が構築しにくい事とコミュニケーション同様、構築されたとしても独自性が強い事が上げられる。より高い専門性が求められる所以である。ベテランの教師は、心に余裕を持ち相手に心的圧力をかけないで上手に関係を取り結ぶ。受容し時間をかけて関係作りをし遊びに持ち込んで絆を太くしてゆく。

 こうして育てられて人に対する信頼やコミュニケーションの初歩、簡単なルールなどを習得した自閉症児は、小集団のクラスにも適応できるようになる。友達に関心があり一緒に学びたいという気持ちは同じだからである。


祈り・行動

 親子の会話、教師と子どもの会話は禁止や命令形が多い。或いは指示や促しである。まして、知的障碍教育に於いてこの傾向は更に顕著である。しかし、聖坂では教師と子どもは神の前に対等の存在である。それでも教師は教えたがったり命令口調となる。祈りの度に反省し少しずつ子どもに寄り添い共に歩む者へと変えられてゆく。こうして、子どもの主体性が快復される。

 子どもも私たちと同じく神により命を与えられ、この世での使命を帯び生きている存在である。その事に想いを馳せる時、祈りを持って導く以外にない。私の足りない所は神様が導いて下さる、育てて下さると信じて。


想いを汲み、愛情を持って育てる

 どんなに障碍の重い子どもたちでも、それぞれに魂を戴き心を持っている。上手く表現できなかったとしても年齢に応じた感性が育ち外界を映して生きる心の豊かさに変わりはない。

 それぞれの想いを汲んであげ、時には代弁し感情の調整をしてあげる事もある。肢体不自由教育では介助或いは介護と言う。知的障碍教育では制度化されていない。欧米ではコンタクトパーソンという役割がある。執り成し手とでも言おうか。知的障碍者と社会の間にあって仲裁する役割である。

 キリスト教では、執り成しの祈りというのがあるが友人の為に神様にお祈りする事である。私は、知的障碍のある人が生活に不自由が無い様に本人の想いを汲んであげたり必要な援助をする事、さらには社会との橋渡しをする事だと理解している。


経験を豊かに

 どんな教育も、育てる為には、本人が経験を通して学ぶ事の重要性は否定しない。しかし、受験対策等で机上の学習が増え経験が乏しくなってはいないだろうか。

 聖坂の教育は、その点では、誇れるほどに重視している。学校行事は、同じ特別支援学校と比べても多いし、普通教育とは、比べられない。

 生活力の向上を目標とした調理学習や買い物、交通訓練や宿泊訓練を始め、遠足やキャンプ、マラソン大会や収穫感謝など自然に親しむ経験を大切にする行事も多い。特に水の事故を嫌って臨海学校が激減する中、小・中学部は2泊3日の海でのキャンプを行っている。また、遠足も自然の中に出掛け小・中学部は、芋掘りを体験している。

 自然の中での豊かな体験は、子どもの目の輝きを増させ意欲が芽生えさせる。教師も子どもと一緒に自然に浸る中で姿勢が変わる。対子どもから、子どもと一緒に対象に向かい様になる。ここに共感が生まれ関係が豊になる。

 交流学習でもこの知恵は生かされている。本校の行っているのは、集団交流であるが受け容れ人数を本校児童・生徒数以下にしている。

 また、プログラムの中に、ゲームを入れるが本校の児童・生徒と交流校の子どもをペアにし一緒に競技をしたり対抗試合をする。そうする事で、共感が生まれ違いよりも同じと感じられ早く仲良くなる。

 知的障碍児の長い人生を考えると教えられて何かが出来る事よりも、どの様にして一緒に生きるかという事の方が大切である。困ったときのサインの出し方、それぞれの仕方でのコミュニケーション。一緒に楽しんだ経験を通して人に対する信頼を醸成する事は、どんなにか生きる力になると思う。


教師の姿勢が問われている

 先ず子どもたちの命に目を留めているか。心を見ているか。主体性を尊重し自己判断や自己決定が出来る様な配慮をして働きかけているか。自立も主体性も周りが配慮し環境設定をして育つものである。自然の中に飛び出し、経験を豊かにさせているか。一緒に学び、一緒に育つ姿勢を持っているか。子どもは教えるのでなく育てるという観点を持っているか。今教師の姿勢が問われている。

− 2007年11月22日(木) 40周年記念式典 式次第より −

 

  ホームページへ  

作成者情報
Copyright © 2000.1 [聖坂養護学校]. All rights reserved.
Revised: 2011/12/21 .